創業者今井樟太郎 近影

今井館聖書講堂正面写真

内村鑑三の肖像画

講堂内部の写真

所蔵雑誌・創刊号7点

今井館聖書講堂は、日本のキリスト教界を代表する思想家・内村鑑三を尊敬していた弊社創業者・今井樟太郎の遺志により未亡人今井信が内村に寄付したもので、明治41年(1908年)に、当時、東京柏木(現新宿 区北新宿)にあった内村邸の敷地内に建てられ、昭和5年(1930年)天に召されるまで、約22年間にわたって内村は、この講堂を拠点として聖書の真理を説き続けました。

 

創業者・今井樟太郎は、明治2年和歌山県で出生。明治20年神戸の播磨商店に入り、翌21年洗礼を受けてキリスト教に入信しました。
明治29年(1896年)に同僚とともに石鹸や香料の販売会社として合資会社永廣堂を設立、営業を開始しました。しかし同僚の失敗で大きな借財を背負い、独力で再建に取り組むこととなります。その苦境のさ中、明治33年9月に京都で行われた講演で内村と出会います。内村39歳、今井30歳のことでした。今井が直前の7月に内村に送った手紙には「数年来先生の著書により益を蒙りつつあるものなり。これに対し深く感謝す。これらを通して、先生の為人を想像し、衷心より先生を敬す」と記しています。内村もこれに大変慰められまた励まされ、発行した「聖書之研究」誌第1号にその文を掲載し感動を伝えています。その5年後、努力の甲斐あって借金を完済し、東京にも支店を設けるまでに至った今井樟太郎は、内村を訪れ親交を深めました。

 

ところが明治39年(1906年)6月5日、今井は脳溢血で急逝してしまいます。享年36歳。
内村は深く悲しみ、「聖書之研究」誌76号で「君は屡々余輩の寂寥の中に慰め、又幾回か寂寥の欠乏を補いて本誌の存続を助けたり。余輩の心中に大なる空虚を感ぜずんばあらず。云々」と情感溢れる追悼文を掲載しています。
翌明治40年、未亡人今井信の献金を基に今井を記念して建てられたのが、この今井館聖書講堂です。

 

内村の死後、今井館は都市計画による道路拡張工事に伴い教友会が譲り受け、現在の目黒区中根に移築。第二次大戦後は内村に学んだ後の東大総長・矢内原忠雄もここで集会を行うなど、さまざまな交流の拠点として活用されてきました。
昭和61年(1986年)には増築した新館に今井館図書資料センター(現資料館別館)が設置され、平成15年(2003年)には今井館資料館が新設されました。

 


▼ 明治39年(1906年)6月10日発行の「聖書之研究」第76号裏面に掲載 された弊社広告(上)と、内村鑑三による今井樟太郎追悼文(下)。

聖書之研究

内村鑑三による追悼文

 

今井館
〒152-0031 東京都目黒区中根1-14-9 TEL:03-3724-6753
http://www.imaikankyoyukai.or.jp/

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